創建は14世紀と言われるご存じ首里城。
500年にわたる琉球王国の中心でした。
沖縄戦で灰燼に帰したものの1992年に復元されました。鮮やかな朱色の沖縄のシンボルでしたが焼失。再建が待たれます。
第2尚氏4代尚清王が建てたと言われます。
「守禮之邦」の扁額が掲げられています。
この外側の綾門大通の琉染あたりにもう一つ中山門がありましたが明治時代に劣化して風呂屋の燃料になったとか?
鳥居のようなものの為に戸はありません。
周囲のハンタン山自体を園比屋武御嶽として国王が旅の安全を祈る為の拝所です。
1519に作られ国の重要文化財に指定。
屋根部分の細かい彫刻は見事です。
川ぞいに宝物を運んだので宝口と名付けられたとの伝説のある場所です。
宝口樋川という泉もあり、現在も豊富な水量を誇っています。
王国時代には紙すきに使われていました。
アダニガーウタキ
首里大阿母志良礼が管轄する御嶽。
御嶽の形はアーチ形式で馬蹄形の石囲いの中に神石があります。
奥に洞窟があり、本来はここを拝んでいたのではないかと思われます。
サシカサヒージャー
佐司笠按司加那志(尚真の長女)が福木の大木にいつも鷺(さぎ)が来てとまるのを見て、掘り当てたといいう由来のある樋川で鷺泉とも呼ばれています。尚順男爵はこの樋川から号名をとって鷺泉(ろせん)と号していました。
1450年から1456年に建てられた神社です。国宝の社殿は戦争で破壊されましたが、戦後に復元されました。石積みのアプローチは昔のもので、石段の道は県の文化財になっています。琉球八社の一つです。
首里城から識名園に向かう王様の一行が途中休憩した場所です。金城町の石畳道坂の中間にあって、ウクシというお神輿のような王様の乗り物を担ぐ人たちは隣の樋川毛(ヒ―ジャーモー)で休憩しました。
今は金城町村屋集会所で一休み出来ます。
内金城(ウチガネグスク)の神木。旧暦6月15日に神が降りて、どんな願いでも叶えてくれます。
18mのビル4~5階に相当する巨木です。
鬼になった兄を妹が奇抜な方法で崖から落として征伐したとの伝説の地。今は鬼になった兄と妹の拝所が仲良く並んで建っています。
琉球を統一した尚巴志王時代の1427年に掘られた池です。周辺に花木を植えて整備し中国からの使節を舟遊びで接待しました。
かつては排水路に世持橋という立派な橋がかかっていましたが暗渠となり、彫刻の破片のみ県立博物館に保管されています。魚が多いことからユイグムイとも呼ばれています。隣のリングムイ(蓮池)は埋め立てられました。
琉球を統一した尚巴志王の陵墓と言われていますが確認はされていません。
第二尚氏のクーデターの時に遺骨は北部に移動されたと言われています。
石碑の左側に浮き彫りの掘られた輝緑岩の見事な石棺があるらしいですが個人邸宅内のため現在見る事は出来ません。
首里のオアシス首里プールの跡。
水が豊富な首里ならではの施設でした。
記念碑の立つ小さな公園が跡を留める。
首里城首里杜館裏から出て興禅寺を入る。
石畳を少し下りた所にある綺麗な喫茶店。
ここに座るとリゾート気分満喫。
かなり遠くまで一望。望遠鏡で見たいな。